| 政府が学生連盟に解散勧告 |
番組名:学生ゴルフの足跡 |
更新日(2012/03/19)
戦局の進展に伴う”締めつけ”は厳しくなる一方で、1940(昭和15)年8月23日、
ついに政府から関東学生ゴルフ連盟に対し、自発的な連盟の解散勧告が出され、
同時に学生プレーヤーの日本オープン、日本アマ出場の道も閉ざされた。
最後通告を受けた学生連盟は、8月28日から3日間、
第6回全日本学生選手権を開催した(久保田瑞穂が原田盛治を下して優勝)のを最後に活動を中止した。
このあと『オール私大×オール帝大対抗戦』が行われ、以後、学生ゴルフの競技は終戦後までとだえることになった。
1941(昭和16)年12月8日、日本は米英両国に宣戦布告したが、時間の経過とともに戦局は悪化。
1943(昭和18)年には大学生も徴兵されることになった(いわゆる学徒出陣)。
翌44年3月、大日本体育会も新年度の事業はすべて実施しないことに決め、日本のスポーツ活動は以後、完全休止した。
《写真は、昭和13年、全日本学生選手権優勝の久保田瑞穂:左》
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