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かくして関東学生ゴルフ連盟が設立される 番組名:学生ゴルフの足跡

更新日(2011/09/19)

 学生ゴルフの活動が活発化してくると次第に学生だけのための競技ができないだろうか、という機運が盛り上がってきた。 この機運を察知、実現の音頭をとったのは、神田の出版社『目黒書店』だった。社長の目黒四郎は、日本ゴルフ界の重鎮、赤星兄弟に誌面を通じてゴルフ指導を仰ぐかたわら、学生の連盟を立ち上げ、競技会をやってやりたい、という構想を打ち明け、協力を頼んだ。

こうして、1935(昭和10)年2月2日、東京・日比谷公園にあった山水楼で設立総会が行われた。 慶應、早稲田、明治(以上が設立の発起校)、法政の4大学が加盟し『学生相互の連絡を取り、学生ゴルフ界の健全なる発展を図る』ことを目的として『関東学生ゴルフ連盟』が創立、発足した。

委員長(会長職)には小寺酉二(1897〜1976=慶應OB、戦後、日本ゴルフ協会常務理事を務める)、加盟大学の代表が幹事となり、顧問に赤星四郎、堀籠乕之介が就任し、事務局を小笠原勇八が担当した。 小笠原は、当時ゴルフの専門書を発行している目黒書店編集部の記者で、以後、カメラを片手に取材に駆け回り、戦後は日本ゴルフ協会事務局長としてゴルフ界の裏方役を担った。
小笠原は早稲田大学山岳部で活躍し、冬の北アルプス縦走に成功した山男だった。 アマチュアスポーツとしてのゴルフの発展に貢献し、ゴルフ史家としても名を成した。

連盟は目的を遂行するために、次の事業の実施を決定した。
(1)関東学生インビテーショントーナメントの開催
(2)連盟加盟校によるリーグ戦の開催
(3)関東学生チャンピオンシップの開催
の各項が挙げられ、リーグ戦とチャンピオンシップ優勝者に目黒書店が寄贈する優勝額にその名を刻んで、栄誉を称えることにした。

《写真は関東学生ゴルフ連盟発会式にて》