| 神宮球場のヒーロー若林忠志は芝の上でもヒーローだった |
番組名:学生ゴルフの足跡 |
更新日(2011/08/18)
ハワイ育ちの日系二世の若林忠志さん(元阪神タイガース投手)は昭和3年、生まれ故郷のハワイを後に大学入学を目指して来日した。
翌4年、法政大学に入学してハワイで覚えた野球の実力を発揮し、たちまち法政野球部のエースとなり、六大学野球ファンを沸かせた。
その右腕はカーブ、シンカー、ナックルなどの変化球を巧みに操り、「7色の変化球」を投げる投手として人気者になったばかりでなく、
母校を3度優勝に導いている。ハワイでは幼少期からゴルフにも親しみ昭和7年、帝大、明治、法政各大学による目黒書店主催のインビテーションマッチには
バットをクラブに持ち替え、ネット優勝を果たした。
プロ野球生活は、結成間もない大阪タイガースに入団したのが昭和10年。
昭和18年から2年間、監督権エースとなり優勝をとげてMVPになった。
昭和25年、セ・パ両リーグに別れた時、毎日オリオンズに入団し、松竹ロビンスとの日本シリーズでは第1戦に先発、完投勝利投手になった。
若林さんのゴルフはプロ引退後、関東の倶楽部対抗競技に湯河原CCの代表としてプレーしたが、学生時代、ゴルフ競技で活躍した実績を語られることはなかった。
昭和40年、57歳で没。

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