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更新日(2011/07/28) 1930(昭和5)年になると明治大学に、その2年後には法政大学にもゴルフ倶楽部が創設された。 こうした大学によって次々に対抗戦が行われるようになった。 また、1933(昭和8)年には駒沢パブリックコース(東京ゴルフ倶楽部が昭和7年、朝霞に移転した跡地を東急電鉄がパブリックゴルフ場として経営)の主催による、「関東学生ウィンタートーナメント」が行われた。 のちに日本ゴルフ協会会長になる細川護貞(学習院〜京都大学 肥後藩主17代当主)が優勝した。 細川は日本アマゴルフ選手権に優勝した原田盛治や元内閣総理大臣、近衛文麿の長男、文隆と並んで”駒澤3少年”の一人に挙げられる程、将来を嘱望される腕達者だった。 同年、暮れにも駒澤主催の慶応・帝大(東大)、法制による「三大学連合トーナメント」が開催された。 帝大の弥永恭二郎が163打でベストグロス、 法政の若林忠志がネット143でそれぞれ優勝した。 若林は法政大学では野球部のエースとして神宮のヒーローだった。 野球以外はゴルフが得意で、オフシーズンになるとゴルフ競技に登場した。 明治大学のゴルフ部は春日井薫教授の提唱によって誕生した。 春日井教授は戦後、同大学の学長、総長を歴任した経済学者だった。 アメリカ留学中に、ゴルフを履修し、その経験から学生にフェアプレーを最も重んじるスポーツとしてゴルフが最適と判断して奨励した。 自ら明治大学ゴルフ倶楽部の部長を引き受け、後に関東学生ゴルフ連盟創設に指導的な役割を果たした。 明治大学はテニスのデ杯選手だった藤倉二郎がゴルフチームの一員になっている。
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