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ハロー先輩〜平川 基春さんの巻〜 番組名:ハロー先輩

更新日(2012/01/10)

かつて学生ゴルフ連盟の委員、連盟員として、学生ゴルフの普及に東奔西走した先輩諸侯を訪ねるコーナーです。このコーナーは社会人としてのジャンルを問わず、各階で活躍中の学生ゴルフ界の先輩に登場してもらいます。

ゴルフのお師匠さんは浅見さん
 『クラブを握ったのは19歳の時、日本はまだ《戦後》の余韻が残る時代だった。今年のマスターズのTV中継を観戦しながら、ただただゴルフの隆盛とその内容の見事さに感銘を深くした。さて、自分のゴルフは、日本のプロゴルフ草創期の第一人者だった浅見緑像蔵さんがお師匠さんだ。クラブの持ち方から教わり、無我夢中で毎日、練習をした。その後、多くの名手の教訓を胸に、これを実践した。高校時代、野球部でショートを守っていたので、競技会に出られるレベルまで力が上昇した。
 運良く早稲田を卒業して商社の『丸紅』に入社できた。あえて『ゴルフのお蔭』と申し添えておく。師匠の浅見さんは早稲田大ゴルフ部で活躍し、プロ転向後、日本プロゴルフ協会の会長を務めた浅見健一君の父君だ』

海外勤務で学んだもの
『丸紅入社後、10年目に海外勤務の辞令をもらった。行く先はアメリカの西海岸だった。アメリカはゴルフ王国、友人や上司に案内され西海岸にある数多くの名コースを回らせてもらった。
 さらにそれから9年後、マレーシアで3年間、ゴルフをやる機会に恵まれた。東南アジアにも尊敬できる立派なゴルフ友達ができ、彼等からもいい教訓を受けた。特に新人の教育についてはどの地域でも熱心な紳士があれこれとアドバイスしていたことが印象に残っている。そして共通点は
《プレーの技術は自分より遥か上手な人たちとプレーすること》
それよりも
《最後まで諦めることなくフィニッシュすること》
でした。教え魔の多いことを痛感していた私にも反省の材料になったものです。
 大学時代、満足できない内容のプレーで投げやりの態度をしたことを恥ずかしく思い出されたものです』

前夜祭のこと
『ところで各国で開催されるいわゆる《ビッグイベント》では、試合前夜に“前夜祭”が催され、各階のゴルフ好きの名士達は祝辞を述べ、全員の健闘を祈るのが恒例です。ところがいつでも日本から参加しているゴルファー達は出席する人が極端に少ないことである。共通語の英語のスピーチが理解しにくいこともあろうし、明日からプレーする前に良く体を休めたいところだろうが、礼儀にかなう行為ではない。36ホールの予選通過が第一目標であることに異論はないところですが、それよりも大切なことがもっと沢山ある』

あのゴルフメートたちのこと
『私は大学生の折、多くのアマチュアの競技に出場する機会に恵まれたが、残念ながら優勝カップには遠く手が届かなかった。関東学生選手権、関東アマチュア選手権、日本アマチュア選手権、日本学生選手権などであるが、一緒にプレーした相手、仲間のことは時々、思い出す。早稲田は先輩の金田武明さん、牛込公一郎、有賀延興、小林淳一、諌山滋、秋田尚、仲村賢治、池田郁夫のみなさん。ライバル校では橋上靖一さん、松本富夫さん、昭夫さんのご兄弟。中部一次郎さん、野村健二さんと和三郎さん(武蔵大)のご兄弟、鍋島直要さん、明治の近藤肇さん、立教の吉岡正恒さんらである。この中には他界した方もいる。われわれは大学を出て早や、50余年、みんな“じいさま”になったのだ、と痛感する。
 早稲田の牛込には激励されたり、同情されたりの間柄で、いまも時折一緒にプレーする。慶應の野村(兄)さんには特別の思いがある。昭和28年創始の関東学生選手権の第3回、第4回の2年連続でマッチプレーの決勝戦で顔があった。残念ながら私は2年連続の敗退だった。彼の存在は偉大である。野村さんとは高校(都立小石川高校)時代の同期だ。彼はサッカー部の花形ストライカー、私は野球部のショートを守っていた。サッカー部に野球部がノックアウトされたようなものだった。

とりとめのないことをくどくど申し上げたが、学生ゴルフの向上こそ、今後の日本のゴルフ界の原動力になると信じているの。ぜひ現役諸君の奮起を促したい。年金生活に入り、毎日、70球の練習ボールを打ち、筋力トレーニングを欠かさない。私はじいさまになっても頑張っているから、諸君も大きく前進しようじゃないか』(平川さんは早稲田大のゴルフ部が同大学体育局公認の部になった折の初代主将を務めた)

≪写真・最近の筆者と早稲田大の親友、牛込公一郎さんと並んだスナップ写真と全日本学生選手権に優勝したときの慶應・野村健二さん≫