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ハロー先輩〜佃 真美さんの巻〜 番組名:ハロー先輩

更新日(2011/12/06)

かつて学生ゴルフ連盟の委員、連盟員として、学生ゴルフの普及に東奔西走した先輩諸侯を訪ねるコーナーです。このコーナーは社会人としてのジャンルを問わず、各階で活躍中の学生ゴルフ界の先輩に登場してもらいます。

 佃さんは1981(昭和56)念に法政大学に入学して、ゴルフ部の門を叩いた。法政大学のゴルフ部の歴史は古く、1932(昭和7)念には部が創設されている。戦時中はいずこの大学もそうだったが、全ての運動部は活動が禁止された。法政大学のゴルフ部がその空白期から活動を再開したのは1957(昭和32)年になってから。そのほう盛大の平成19年度は“法政大学女子旋風”が巻き起こった。文学部2年生の綾田紘子さん(共立第2高校出)が日本女子アマチュア選手権(6月、宮崎)で初優勝、宿願だったトピーカップ日米大学対抗(9月、棚倉田舎)に日本学生(10月、千葉)で綾田さんが初優勝、さらに信夫杯(同)に初めて勝つという創部以来の快挙だった。

 『私の入学は昭和56年で、そのころは既に部の活動は盛んでした。監督の谷口雅史さん。けれども女子の部員が少なく、女子の部員はわずかに3人という状況でした。競技に出るとってもレベルはせいぜい月例競技に出る程度でしたから、後輩の活躍は信じられない気持ちで見ていました。わがことのように嬉しさで一杯です』

 法政大学に序p氏部員が登場したのは昭和35年頃のことで、その時代は男子食が強かった。女子部員の第1号は昭和39年卒の横見智子さん(旧制三代)で、横見さんは『われわれの時代では全国制覇なんて夢の夢』と話していたが、そんな下地が今日の法政大女子の快進撃に綱っている。
 佃さんはいう。『男子市場の社会でしたから、練習も男子に混じってやりました。女子だからといって特別待遇もなく、男子と一緒にトレーニングでした』
 佃さんが本格的にゴルフをやり始めたのは大学入学後のことだったらしい。それ以前、父・馨さん(73)の手ほどきを受け、一緒のコースを回った事もある。競技暦は2年生になってから関東女子学生リーグ戦に出た。
 その頃、女子学生の協議はほとんどが個人戦で、団体戦はなかった。佃さんは2年生のとき、リーグ戦に出場の機会があった。バブル絶頂期のため学生ゴルフは競技に使うコースの確保に苦労した。このため競技はしばしば、河川敷のコースや遠く離れたコースが使われた。それでもじっと我慢の連続だった。いつかは名門といわれるコースで開催される日を夢見ていたからだ。

 『大学の部に所属してからは部費稼ぎのためにトーナメントの手伝いには相当日数を費やしました。これがご縁でミズノに入社の機会が訪れたのです。1985(昭和60)年のことでした。入社後、プロのコーディネーター役につき樋口久子さん、岡本綾子さん、大迫たつ子さん、森口佑子さん、?阿玉さんといった女子プロの一流どころとの交流があり、これが一番印象に残ります』というから、ゴルフ好きには羨ましい職種であったろう。
 法政大学ゴルフ部の女子の活躍が話題になったのは綾田さん以前に小池永子さんがいる。平成8年、日刊スポーツ杯争奪関東学生競技に優勝している。しかし、平成19年の法制女子はその数倍に匹敵する話題を作った。そこで佃さんはいう。
 『女子もプロもアマチュアもゴルフ界においては脚光をあびています。用品の内容も長足の進歩をとげています。環境に甘んじることなく、この機に大いに飛躍してもらいたいもの』と後輩にいっそうの奮起を呼びかけている。現在、佃さんはマーケティング部の最先端に立ち、競争の激しいゴルフ用品界において奮闘中。

≪写真・自社の誇るクラブの新製品のPRに懸命の佃さん≫