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更新日(2006/07/05) 日本の草創期のゴルフ界には、今日のように芝を育成する技術が発達しておらず、絨毯を敷き詰めたようなきれいな芝の実現は期待できなかった。とりわけパッティンググリーンに問題があった。逆にサンドグリーンという設備が発達して、サンドグリーンを使うコースが多かった。 明治34(1901)、神戸の六甲山上に英国人がゴルフ場(神戸GC)を造ったが、ここは当初、サンドグリーンだった。まだ芝を育てる技術がなく、仕方なくサンドグリーンを採用したようだ。山地という気象条件下ということもあって芝は育ちにくかったようだ。 さてサンドグリーンの構造は、平らになった芝の表面を円形に20センチほど掘り下げ、その表面をテニスコートのように固めた。グリーン表面の球を転がすところが皿状に窪んでいた。プレーヤーの球がグリーンの乗ると付き添ったキャディは『入った!』と大声を張り上げて喜んだ。サンドグリーンを管理した経験のある神戸ゴルフ倶楽部の元支配人だった南岡政一さん(故人)の話である。 さらにこの神戸GCのサンドグリーンには奇妙なローカルルールがあった。表面が砂だったのでボールの傍に偏った砂の盛り上がりがあると手で払いのけてもよかった。ボールが掘り下げた淵に止まると、シューズ2足分だけ内側に無罰でプレースできた。しかし管理に手を焼き、ゴルフの公平さを欠くとしてサンドグリーンは昭和の初め、芝が容易に育つようになったこともあり姿を消した。日本人ゴルファーの中ではサンドグリーンでプレーした経験者は少ない。恐らく数えるほどしか残っていないだろう。 『写真は神戸ゴルフ倶楽部のかつてのサンドグリーン』
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