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図面で甦った幻の秩父CC北コース 番組名:ゴルフコース見聞録

更新日(2006/01/18)

埼玉県狭山市にある(社)東京ゴルフ倶楽部(木内昭胤・理事長、会員数700人)は昭和15年、 埼玉県の朝霞から現在の地に移転してきた。そこにあった秩父カントリー倶楽部と合併したが、 かつて秩父CCが36ホールを備えたコースだったことを知る人は少ないようだ。

秩父CCの前身は新霞ヶ関パブリックコースといった。昭和10年の開場だった。 やがて36ホールの会員制倶楽部になったものの、肝心の会員が集まらず経営に四苦八苦だったため、 東京ゴルフ倶楽部と合併直後18ホール分の用地を日本鋼管に売却した。
日本鋼管は農場用地として食料増産にこの土地を活用したが、昭和20年の終戦で社会情勢が一変し、 行政の手でこの土地は宅地として売り出された。現在の東京ゴルフ倶楽部と霞ヶ関カンツリー倶楽部の東側に隣接する 広大な範囲の土地で川越市笠幡の霞ヶ関地区として開発されて多くの住宅が点在している。 『ここがゴルフ場だった』という話は地域住民がよく承知のようだ。

東京ゴルフ倶楽部の会員、水野勝之さん(スリーケイ株式会社社長)はコンピューターを使い、 会員の富永泰史さんが数年前に撮影したという航空写真(高度1700メートルから撮影)を基に、 保存されていた設計図を参考にしながら、幻といわれたコース(18ホール)の図面を航空写真上に復元させた。 この地域一帯は秩父CCの北コースで、設計はゴルフ界の重鎮、赤星四郎さんと田中善三郎さんの合作だった。 現在もそうだが、全般になだらかな地形だったようで、地域住民の一人は『自分の家の前に倶楽部ハウスがあったそうだ』 と在りし日の幻のゴルフ場の栄華を想像している。
 コースの図面を復元させた水野さんはコンピューターの専門家で、産業再生機構の依頼を受け、 栃木県鬼怒川のホテル『あさや』の運営システムを手がけた。 現在、東京ゴルフ倶楽部の史料室委員を務め、本業の余暇に倶楽部史の研究に没頭中。
水野さんは幻のコースを図面上で復元させた研究の成果を会報に発表したところ会員間の反響が大きく 『よくぞ調べたものですね。ここがかつて36ホールだったとは知らなかった』と歴史追及の成果に驚いている。 このように戦前で消えたコースを甦らせることができたのも、歴史ある倶楽部ならではのこと。 それより、もっと驚いたのはゴルフ好きの地域住民だ。『自分たちの住処は12番のグリーン上だ』といった具合に吹聴している。

ちなみに現在、東京ゴルフ倶楽部が使っているコースは、大谷光明さんが設計した秩父CCの南コースである。

【写真は図面上で復元された秩父CC北コース】