■■ ゴルフ情報総合サイト ■■
ゴルフを楽しむコンテンツが満載! |
---|
更新日(2006/01/18) 埼玉県狭山市にある(社)東京ゴルフ倶楽部(木内昭胤・理事長、会員数700人)は昭和15年、 埼玉県の朝霞から現在の地に移転してきた。そこにあった秩父カントリー倶楽部と合併したが、 かつて秩父CCが36ホールを備えたコースだったことを知る人は少ないようだ。 秩父CCの前身は新霞ヶ関パブリックコースといった。昭和10年の開場だった。
やがて36ホールの会員制倶楽部になったものの、肝心の会員が集まらず経営に四苦八苦だったため、
東京ゴルフ倶楽部と合併直後18ホール分の用地を日本鋼管に売却した。
東京ゴルフ倶楽部の会員、水野勝之さん(スリーケイ株式会社社長)はコンピューターを使い、
会員の富永泰史さんが数年前に撮影したという航空写真(高度1700メートルから撮影)を基に、
保存されていた設計図を参考にしながら、幻といわれたコース(18ホール)の図面を航空写真上に復元させた。
この地域一帯は秩父CCの北コースで、設計はゴルフ界の重鎮、赤星四郎さんと田中善三郎さんの合作だった。
現在もそうだが、全般になだらかな地形だったようで、地域住民の一人は『自分の家の前に倶楽部ハウスがあったそうだ』
と在りし日の幻のゴルフ場の栄華を想像している。 ちなみに現在、東京ゴルフ倶楽部が使っているコースは、大谷光明さんが設計した秩父CCの南コースである。 【写真は図面上で復元された秩父CC北コース】
|