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早稲田大学体育局ゴルフ部 女子部 番組名:我がゴルフ部紹介

更新日(2013/03/30)

廃部の危機を乗り越えた女子部が念願のCブロック優勝に漕ぎ着けた


 早稲田大学ゴルフの歴史は、戦前 に 遡 る。
1925(昭和10)年の連盟創立期に慶 應 義 塾、明治、法政の各校に伍して連盟創立発起校の一つだった。
以来、早稲田は連盟主催の競技出場の常連校だった。戦後、学生ゴルフが復興した時代、我が早稲田大ゴルフ部の大先輩である金田武明さん(1932〜 2006)が連盟の復興や学生競技の再開のために 奔走した。このように男子は戦前、戦後の復興期直後から顕著な活躍記録を残している。近年の男子は、 有賀延興、平川基春、浅見勝一の諸先輩、昭和 30年代の前半における学生界の雄ともいえ存在だった。
続いて内田伸之が有賀、浅見についで日本学生選手権のランナーアップになり、早稲田の伝統を引き継 ぎながら、日本学生や関東学生選手権に好成績を残している。

 昭和 30 年代の中盤に入ると慶應、聖心、日本女子など、女子部員による活動が活発化し、大学公認
の体育系女子ゴルフ部が生まれ、女子を対象にした競技会の開催される機運が高まり昭和 34 年 3 月、待望の女子学生競技が創始された。
早稲田大学ゴルフ部の女子部は定かな記憶ではないが昭和 30 年代から40 年代にかけて活動が始った。
といっても、最初から本格的に競技会に出たわけではなく、僅か数人の部員は男子部員が手を取り、足を取りで球の打ち方を教えた。
とても部活動といえるものではなかった。しかし、一般家庭にゴルフが普及し、そんな家庭に育った子女が入部するに至って、女子学生の活動が本格化した。早稲田の女子部が日本女子学生選手権に初登場したのは昭和 39 年の第 1 回大会だった。旧姓・鈴木叔子、井部洋子が参加したのが女子部の事始め。しかし、歴史を紐解いているうちに昭和 34 年、東京中日杯の関東女子学
生競技(東雲 GC)に早稲田からたった一人で八坂一子が出場していた記録を発見した。

 この競技が引き金になってついに全日本、関東では大学対抗戦が開かれるようになった。団体戦の第 1 回にも早稲田は出場したが、10 校中、8 位に終わっている。
優勝は慶應、早稲田は慶應から 89 打引き離される結果だった(1校 4人出場してベスト3の合計)。

 1993(平成 5)年から早稲田の女子勢力の台頭が目立った。
金澤鈴鹿、中島真弓、吉田希美代らが相次いで日本女子学生選手権で大活躍した。
金澤は優勝が 1 回、ランナーアップが 1 回、中島が優勝 1 回、吉田はランナーアップ 1 回。近年における早稲田女子の顕著な成績である。
といっても早稲田大の女子部は順風満帆の歴史を積み重ねてきたわけではなく、部員不足から何度となく廃部の危機にさられてきた。
だが、早稲田という伝統がそれを許さなかった。女子部の現有勢力は 6 人ながら、この秋の対抗戦で、
Cブロックながら待望の優勝を遂げた。
園田麻里加、安藤英里、澤田沙都子、多田光、楢松芽衣のメンバーで前日 3 位から逆転優勝を飾った。
先日、OB 会の肝いりでささやかな祝勝会も開いて頂いた。
日頃の練習は朝夕、上石神井にある早稲田学院校庭のドライビングレンジを利用してボールを打つ。
合宿、合同練習は先輩連の手を借りながら競技会を念頭に入れタイムリーに実施している。

この秋の優勝メンバー(主力は 3、2 年生)から一人抜けるが、明春には有望新人の入学が期待されるので、
当面の課題はBの座を守ることだろう。

(文・土屋圭吾・早稲田大学ゴルフ部監督〜文中敬称略)