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第1回日本女子オープン1971年
[12/25掲載]
第1回日本女子オープン1971年(大利根CCで) 日本女子オープン選手権は昭和43年、TBS女子オープンとして創始されたが、昭和46年から日本ゴルフ協会が主催者になり、女子のオープン選手権として正規な大会になった。JGA主催の最初の大会は茨城県の大利根CCで開催され、樋口久子が予想通りの強さを発揮して勝った。(優勝カップを手にする樋口、その左は藩玉華(台湾)、左端はベストアマチュアになたった小林和子(府中)、右端はデーモン(アメリカ)。
神さまのスニードがやってきた
[01/23掲載]
日本のゴルフは1957(昭和32)年10月、霞ケ関CCで開かれた第5回カナダカップで普及に拍車がかかった。この時、日本のゴルファーが注目したのはゴルフの神さまといわれたサム・スニードだった。スニードはアメリカのゴルフ界では、ベン・ホーガンと並んで最高峰のゴルファーといわれた。スニードの『ナチュラルゴルフ』という教本は、当時のゴルファー必携のレッスン書だったからだ。この時のカナダカップの開幕を前に、霞ケ関CCに隣接する東京ゴルフ倶楽部に、パートナーのジミー・ディマレーと突如として現れ、練習場でボールを打った後、会員と交流のひと時を楽しんだ。 会員たちは思わぬ訪問客に大騒ぎで、神様と会話を交わすことができ、真近で名手のショットを見ることができたからだ。
背後の建物は東京ゴルフ倶楽部のハウス。1963(昭和38)年、建て替えられた。スニードの背後で見物する《モンペ姿》の女性は、コース管理作業員。当時はコースに出て草むしりをやるのが主な業務だったが、女子従業委員のモンペ姿はめずらしい。
奇妙な構えのパッティングで有名だった相良亮吉さん
[11/30掲載]
佐賀の鍋島藩の御殿医のご子息であり
元東京ゴルフ倶楽部のメンバー
第1回世界アジアアマチュアチーム選手権の優勝カップ
[08/30掲載]
今日からオリンピックに続いてパラリンピックが開催されます。
オリンピックといえは、メダルがその象徴ですね。
日本人がよく目にする優勝の象徴というと、高校野球などの優勝旗も勝利の象徴。
ゴルフの場合は、やはり優勝カップですが、近年では形状等、
特徴的なデザインが多く、目を引きますね。
写真は、第1回世界アジアアマチュアチーム選手権の優勝カップ(昭和38年1月)
日本チームが持ち帰ったアジアアマチュアチーム選手権の優勝カップを手に
大喜びの日本ゴルフ協会副会長の野村駿吉と
その後方が日本ゴルフ協会専務理事の小寺酉二氏。 。※東京ゴルフ倶楽部蔵より
1959年の日本学生選手権の1コマ(霞ヶ関CCにて)
[08/23掲載]
現在、日本学生選手権が埼玉・狭山GCで行われています。松山英樹(東北福祉大3年)が、通算15アンダー201で3日間首位。女子は荒木美友(大手前大4年)が通算6アンダー138で首位をキープ。
写真は、1959年に霞ヶ関CCにて行われた日本学生選手権の1コマ
バンカーショットのワンシーンから
[08/09掲載]
2012年のメジャー最終戦「全米プロゴルフ選手権」は9日(木)から4日間、米サウスカロライナ州のキアワリゾートで開催されますが、この大会に限って、バンカーをすべてスルーザグリーンとして扱うことになりましたね。勝負を大きく左右しそうな気がします。写真は1954年の読売プロゴルフ選手権でのひとコマ。バンカーショットは陳清水、上で見守る林由郎、中村寅吉。※東京ゴルフ倶楽部蔵より
アマの頂点、日本アマチュアゴルフ選手権競技
[07/26掲載]
今年から新たに「日本アマチュアゴルフランキング」が設定された。
これは、2011年日本アマチュアゴルフ選手権競技終了以降、2012年の同選手権終了時点までの獲得ポイントをランキングにしたものだが、「日本アマチュアゴルフ選手権競技」といえば、アマチュアの頂点の大会ですよね?というわけで、
写真は1961年に大洗GCで開催された、日本アマチュアゴルフ選手権競技での中部銀次郎。
トムワトソンの古い記事
[07/19掲載]
いよいよ、「全英オープン」がイギリスのロイヤルリザム&セントアンズGCを舞台に開幕しました。日本勢は、8人が出場していますが、9時53分(日本時間17時53分)にスタートする石川遼は、マーティン・カイマー、トム・ワトソンと同じ組。そのトム・ワトソンといえば大ベテランですが、資料を整理していたら、こんな記事が出てきました。マスターズでの話題ですが、ちょっと参考まで・・。
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