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ゴルフ写真館
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読売巨人軍の名づけ親

[05/07掲載]
読売巨人軍の名づけ親
 今年は日本のプロ野球が始まって70年になる。昭和9年、ホームラン王のベーブ・ルース以下大リーガーがやってきて、日本のプロ野球の夜明けを迎えた。プロ球団の第1号球団は読売巨人軍と名付けられた。名づけ親はフランク・オドールさん。昭和24年にサンフランシスコ・シールスを率いて昭和24年に来日している。オドールさんは大のゴルフ好き。シーススと一緒に来日した時、程ヶ谷CCで旧知の野球人と親善マッチをやった。お相手は戦前派のゴルファー井上匡四郎さん。元鉄道大臣を務めた人だった。 写真は昭和24年11月24日、オドール監督と井上匡四郎氏。

東京ゴルフ倶楽部の駒澤会の歴史

[04/02掲載]
東京ゴルフ倶楽部の駒澤会の歴史
東京ゴルフ倶楽部の駒澤会メンバー(前列左から浅見緑蔵、山本増二郎、宮本留吉、一人おいて安田幸吉ほか)

スポーツパレード

[03/23掲載]
スポーツパレード
体育の日の学生の行進

我孫子のご神木

[02/24掲載]
我孫子のご神木
千葉県の我孫子ゴルフ倶楽部の5番ホールには、ご神木として崇め奉られた樹木があった。 会員たちはご神木に締め縄を張って大切に保存していた。樹齢などは知られていないが、落雷によって大きな幹だけが残ったのか、よく分からない。だがこの樹木の存在は多くのゴルファ―が知っていた。数十数年前に撤去され、代わって種類の違う木が登場した。だがご神木の2代目と分かる人は少ない。ご神木を背景のショットをしている人物はプロの陳清水さん。

江ノ島を望むゴルフ場前

[01/29掲載]
江ノ島を望むゴルフ場前
現在は、閑静な住宅地になっている神奈川県藤沢市片瀬・・・かつて、ここがゴルフ場であったことを知る人はもう少ないのでは? 写真はそのゴルフ場でプロとして活躍した染谷彰一さん〜写真後列で立っている人物〜蔵 詳しくは歴史館コラムへ

プロのゴルフ留学

[10/01掲載]
プロのゴルフ留学
 1959(昭和34)年、日本の若いプロ2人がアメリカにゴルフ留学した。橘田規(きった・ただし〜故人)と勝俣敏夫。まだ、20歳代の新進プロだった。留学の手引きをしたのは、その前年の58(昭和33)年の読売プロゴルフ選手権に招かれて来日したケン・ベンチュリとジャック・バークの2人だった。留学の費用を両者が負担した。  日本のプロゴルフ界にとっては画期的なことで、当時、羽田空港から飛び立ったが、先輩プロの中村寅吉、小野光一らプロ界の大御所が見送った。日本のゴルフの国際化を推進した野村駿吉・日本ゴルフ協会副会長も鹿島立ちの日本のホープを見送った。

エンパイアステートビルに勢ぞろいした6人の侍

[08/28掲載]
エンパイアステートビルに勢ぞろいした6人の侍
昭和10年春、日本の若いプロ6人がゴルフの日米対抗戦に出場するため海を渡った。全米をくまなく回り、対抗戦は52銭25勝13敗4引き分けの成績を残した。空前絶後の快挙だった。一行はU.S.PGAのトーナメントディレクター、ボブ・ハーローに伴われ、ニューヨークを訪れた際、世界一のエンパイアステートビルを見学した。(左から陳清水、中村兼吉、ボブ・ハーロー、鹿沼団長、浅見緑蔵、戸田藤一郎、宮本留吉、安田幸吉)

関東オープン1951年

[12/25掲載]
関東オープン1951年
関東オープン1951年 昭和26年度大会【小金井CC】 左から陳清水、林由郎、中村寅吉(連続優勝)、鈴木源次郎、小野光一。



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