更新日(2016/07/21)
日本の女子のゴルフの事始めは1910(大正時代の初期)年代に遡る。古い女流ゴルファーとして知られるのは三井栄子(さきこ)(三井弁蔵氏夫人)さん(1894〜1977)だ。三井さんは和泉岸和田藩の13代藩主だった岡部長職の長女として東京に生まれ、書の名人、歌は詠み、ピアノを弾き、外国語に堪能だったことから才女の誉れが高かった。女子学習院に学んだ後、三井弁蔵氏(三井家ご当主)と結婚してニューヨークの生活が長かった。アメリカ滞在中はテニスに親しんでいたが、親戚に当たる新井領一郎(生糸商)から『歳を取ってもできるスポーツがゴルフだ』と教えられ、テニスからゴルフに転向した。夫妻は帰国後、東京ゴルフ倶楽部(当時は東京・駒沢にあった)の近くに居を構え、夫妻による日本でのゴルフライフが始まった。 1930(昭和5)年、アメリカから名手ウォルター・へーゲンが来日した時、へーゲンの同伴プレーを頼まれてお相手をした。三井夫人はこの時、ハーフを36のスコアで回り、へーゲンを驚かせた。感動したへーゲンはご褒美に、と自分が使っていたサンドウェッジを夫人にプレゼントした。 この時の三井夫人の服装は純白のテニスウエアを着用していた。ロングスカ―トに長袖の上着で、今風のショートパンツとは大違いだった。 『あの時代は婦人用のゴルフウエアなどはなく、多くの方はテニスウエアを愛用していました。というのはテニスからゴルフに転向した方が多かったから、と記憶しています』と女子のウエアの流れをこう語っていた。1912(大正元)年には女子の東西対抗マッチが始まり、三井夫人は東軍のチームリーダーとして大活躍した。 日本で女子ゴルフ競技の機運が高まり、1968(昭和43)年にTBS女子オープンゴルフが創始された。三井夫人はゴルフ界の先駆者らしく、自らが役員としての責務を背負い、コースに足を運んで若い女子プロたちを激励して大会を成功に導いた。この時の優勝者は樋口久子さん(女子プロゴルフ協会相談役)だった。 《写真・1930(昭和5)年の婦人東西対抗競技の記念撮影〜前列中央は東京婦人倶楽部総裁・朝香宮允子妃殿下、その右が三井夫人。この時代になるとモダンで軽快な服装が好まれた》
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