やがて創設60回を迎える『中日クラウンズ』の知られざる歴史 番組名:ゴルフは時空を超えて

更新日(2016/05/14)

  1960(昭和35)年創始の『中日クラウンズ』ゴルフトーナメントは本年、57回目の大会を去る4月29日、名古屋ゴルフ倶楽部和合コースで行った。最終日には韓国の金庚泰(キム キョンテ)と片岡大育が同点で並び、プレーオフを制した金が初の王座についたのは記憶に新しい。

    大会創始の頃は『中部日本招待 全日本アマプロ選手権』の名称で、1日36ホール、2日間の競技だった。その頃、名古屋には名古屋ゴルフ倶楽部、愛知CC、三好GCの各倶楽部と森林公園パブリックコースがあった。開催会場は上記3倶楽部を転々とした。

    この大会の創始に至るまでの間、こんな裏面史が潜んでいるのを紹介したい。大会の主催は名古屋を基盤とする中日新聞社(当時は中部日本新聞社)だった。同社は東京進出を視野に入れ東京中日新聞(現在は東京中日スポーツ)を創刊し、誌面の売りは『釣り』と『ゴルフ』。ゴルフの事業として、関東のPGAプロテスト合格者に10万円の報奨金を出す企画が立案された。

    昭和31年と翌32年、名古屋で日本プロ、日本オープンというビッグゲームが開催されたのに刺激され、中部地区におけるゴルフ熱が高まった。そこで中日新聞の社主だった大島一郎、小山龍三郎両氏は名古屋を訪れていた小寺酉二氏(JGA常務理事)を自社に招き『名古屋におけるゴルフのビッグゲームの開催の見通し』を諮問した。小寺氏は『地の利、ゴルフ界の現状』を分析しながら『開催可能』と太鼓判を押した。

    名古屋は関東、関西に挟まれた″偉大なる田舎都市″から脱却すべく、中部経済界の後押しを得て上記のゴルフトーナメントの開催に漕ぎつけた。昭和35年の春だった。翌36年から同系列の中部日本放送が共催に加わり、やがて中日クラウンズと名を変え、さらに飛躍した。第2回大会には優勝者に乗用車(トヨタパブリカ)が贈られるようになり、競技の模様は電波に乗り出した。

その間、海外の著名プロが参加するようになり、日本のゴルフ界を代表するトーナメントに成長しつつ3年後には60回を迎える。プロテスト合格者に10万円の報奨金を贈ることに端を発した事業の企画は、日本における最古の長寿競技になろうとは・・・。想像すらできなかった。

《写真上〜本年度大会のプログラム、写真〜初めて登場した副賞の乗用車と石井朝夫さん(第2回大会優勝者)》