伊豆伊東のゴルフ物語

伊豆伊東のゴルフ物語

担当:福島 靖

伊東市には古くから東洋一といわれたリゾートホテルがあり、36ホールの名コースがあり、大勢のゴルファ―が訪れるようになり、日本のゴルフは伊東で育てられた一面もある。そんな歴史と物語を追ってみた。


(36)プロの恩返し〜賞金を差し出した石井(朝)の気質
(2019/02/17)

  川奈育ちのプロゴルファーの一人に、石井朝夫という実力者がいる。富戸の出身で石井一族の一員だ。関東オープンなど幾多の内外におけるトーナメントに勝っている。

  かつて川奈生まれの若者たちが、社会的に葬られないためには、『漁師になるか。ゴルフのプロになるか』といわれていたそうだ。アメリカにおける白人、黒人との社会に似ている。黒人が社会的に葬られないためには、ボクサーになるか。ジャズメンになるか。黒人で世界ヘビー級のチャンピオンになったジョー・ルイスが残した言葉だが、それに準えた言葉である。

  石井は戦前、川奈のコースに入ったが、戦時中は徴用工として働いた。復員後、川奈のゴルフ場に戻ったものの再雇用されず、路頭に迷った。食うためには、生活基盤が欲しい。そこで新橋でゴルフショップを経営していた松島杲三に泣きつき、ショップの屋根裏に住まわせてもらった。食住の安定感を保ちながらプロゴルファーとして上を目指した。

  昭和27年、読売新聞社が『読売プロゴルフ百万円賞金トーナメント』というゴルフ競技を主催した。優勝賞金は30万円、2位が20万円。“ワンパット10万円のスリル”というキャッチフレーズが話題になった。第1回大会は林由郎が勝ち、石井は第2回に優勝した。賞金は30万円。石井は賞金の入った袋の封を切らずに松島の夫人に差し出した。そればかりではない。80歳を過ぎても松島が経営するゴルフ練習場で、お礼奉公と称してギャラなしでレッスンを担当した。『食うに困ってのことじゃないよ』が石井の口癖だった。

《写真・昭和32年の関東プロゴルフ選手権で健闘する石井朝夫(上)とお元気な頃の松島杲三さん(下)》