近藤暾(あさひ)氏のご逝去 番組名:孔球偉人列伝

更新日(2017/06/03)

  鷹之台カンツリー倶楽部の会員で長年キャプテンを務め、倶楽部の発展に功績のあった近藤暾(あさひ)氏がこの4月15日に亡くなった。95歳だった。

  同氏は戦時中、東京大学ゴルフ部に在籍した学生ゴルファーの一員だったが太平洋戦争の最中だったために十分な部活動ができなかったそうだ。戦後のこと、学生ゴルフ界は復興期に競技の開催コース確保に悩んだ。この窮状を知った近藤氏はホームコース名門の鷹之台CCを会場としての提供に骨折った方である。そのお骨折りで関東学生ゴルフ選手権は昭和31年以来、名門クラブを舞台に開催できるようになり、60余年の歴史が流れた。

  近藤氏はお元気な頃、こんな話をしておられた。
  『私は学生時代、ゴルフ部に入って大いにゴルフを楽しもうと思っていましたが、時期が悪く、敵機の空襲があったり、ゴルフ場は食糧増産のために畑になったりで、スポーツどころではなかった。心の中のどこかにゴルフができなかった口惜しさが残っていた』

  戦後の混乱期がようやく落ち着いた頃、学生ゴルフが復活し、昭和28年、我孫子GCで最初の関東学生選手権が産声を挙げた。しかし、戦後間もないことで、日本のゴルフ場は復旧が遅れていた。学生ゴルフは競技会を開こうとしても会場の確保が難しかった。そこで近藤氏はホームコース鷹之台CC役員会に学生ゴルフに開放を諮った。夏場の閑散期なら、という許可を得て昭和30年を契機に1年置いた同32年から鷹之台CCに開催コースが定着した。

  その裏には近藤氏が満たされなかった学生時代の心残りがあったから、といえるだろう。鷹之台を舞台に汗を流した学生ゴルフOBの数はゆうに5000人を超える。鷹之台をホームコースにしているOBもいる。他倶楽部で役員として活躍するOBもいる。プロとして活躍するOBもいる。鷹之台は学生ゴルファ―たちの心の故郷だ。近藤さん安らかに・・・・

《写真・在りし日の近藤さん》