更新日(2016/10/07)
世界中のゴルファーに親しまれた人気プロのアーノルド・パーマーが先日9月25日、心臓疾患の合併症で米国ペンシルべニア州の病院で亡くなった。87歳だった。 パーマーはアマチュアから1950年代にプロ転向した名手で、攻撃的なゴルフでその時代のヒーローになり、ジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレーヤーとともに『ビッグスリー』と称された人気プロゴルファーだった。マスターズトーナメントを始めとしてUSオープンなど大きなトーナメントで7勝を挙げている。パーマーの周辺には常に熱狂的なファン(アーニーズアーミー)がいて、狂信的なファンに囲まれてのプレーは有名だった。 パーマーは数度来日して日本のトーナメントに出場しているが、日本のゴルフ界の発展に大きな功績があったという点では、パーマーの右に出る外国のプロはいない。昭和36年11月にこんなことがあったのを記憶しているファンは少なかろう。この年の11月13日、日本プロゴルフ協会が主催する『日本ゴルフ週間』という催しで埼玉県の東京ゴルフ倶楽部で一緒に来日したゲーリー・プレーヤ―、中村寅吉、陳清波とプレーした。この催しはPGAが資金を集めるため、多くのアマチュアゴルファ―に呼び掛け、参加費として500円でスコアカード1枚を買ってもらい、好きなコースでプレーし、そのネットのスコアで被挑戦者のスコアに挑戦しようという企画だった。 毎年、この種の催しは日本プロゴルフ協会の基金集めの催しになっていた。この年にパーマーは被挑戦者に選ばれ、陳清波、中村寅吉、ゲーリー・プレーヤーの3人を同伴競技者にプレーした。ところがこの日パーマーは精彩を欠き、4オーバーの76を叩いた。このスコアでは被挑戦者の敗北は明らか。頭を抱えたのは主催者側のPGAだった。勝者には『あなたは被挑戦者を破った』という文字の刻まれた参加料の数倍もするトロフィーを与えることになっていたので、資金集めどころか、大幅な赤字になってしまう。それを察したパーマーはプレー後に『私が負担します』と沈痛な表情で詫びる一幕があった。パーマーが持つプロ気質の一面を垣間見る思いでこのシーンを眺めたことを思い出す。 《写真・スコアボードの数字が示すように被挑戦者のパーマーさんの表情はプレー後も固かった》〆
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