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更新日(2015/11/23)
昭和30年代初めのこと。日本の若いプロ2人がアメリカにゴルフ留学した。橘田規(広野〜故人)と勝俣敏男(箱根)。約1年間、米国のテキサス州に滞在して腕を磨いた。昭和33年の秋、国際ゴルフ委員会の日本ゴルフ委員会(正力松太郎会長)の斡旋で日本の若いプロを育てる目的で東西からプロ2人を選んだ。2人は国際人の野村駿吉(当時日本ゴルフ協会副会長)の推薦を受けた人材だった。 同州のヒューストンにあるジャック・バークとジミー・ディマレー(読売プロ選手権やカナダカップで来日した日本では馴染深いプロ)が経営するゴルフ場(クラブ・オブ・チャンピオンズ)でバークらの指導を受けながら修行を積んだ。 1年余に及ぶ留学を重ねた結果、橘田は『水平打法』で一世を風靡した。日本オープンに2度、日本プロ2度、関西オープンは3度優勝するなど、生涯25勝をマークした。しかし、多臓器不全のため68歳の若さで他界した。一方、勝俣には優勝記録こそないが、アマチュアの指導、プレークラブの開発など地道な活動を続けた。 野村さんがプロゴルフ界の発展を願った親心が花咲いた一幕だが、現代のプロゴルフ界で、野村氏の恩を語る人がいないのは寂しい限りだ。 《写真・羽田空港を出発るる橘田(左)と勝俣(右)を見送る野村さん以下、関東のプロゴルフの幹部たち》〆
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