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マッチプレーを廃止したPGA CHAMPIONSHIP 番組名:ゴルフ温故知新

更新日(2017/08/14)

  今年度の米国プロゴルフ協会(US PGA)の選手権最終日は8月13日(現地時間)、米ノースカロライナ州のクウェィルホロークラブで最終ラウンドのプレーが行われ、米国の新鋭J・トーマス(24歳)が72ホールを通算 276打(−8)のスコアで回り、初優勝をとげた。期待の松山英樹は善戦健闘してトップから3打差の通算279打で5位タイとなり、メジャーの制覇は成らなかった。

    この米国プロゴルフ選手権は1916(大正5)年の創始でアメリカのゴルフ界では米オープン選手権、マスターズトーナメントなどと並ぶ競技としていつも内外から注目されている。しかし、戦前、戦後間もない時代までは日本のプロとは縁遠かった。だが日本のプロゴルフの隆盛期に入った昭和40年代の後半から日本のプロの米国進出が著しく、米国のプロライセンスを取得して米国を拠点活躍するプロの出現に及んでUSプロゴルフ選手権は近しい存在になった。

    この選手権はいま、競技方法は72ホールのストロークプレーで争われる。だが創始当初は36ホールのストロークプレーで上位16人を選抜し、マッチプレーで優勝を争っていた。ところがマッチプレーには予期せぬ波乱がつきもので、人気プロが早く姿を消すケースが多かった。となれば入場料収入が減り、大会の財源や運営に影響が出た。

    そこで選手権を主催する米国プロゴルフ協会は独自に競技方法を72ホールのストロークプレーに変更した。1958(昭和33)年のこと。

    それによって人気、実力のあるプロの予期せぬ敗北が消え、手堅い興行が続いているのである。

    これと同じような経過を辿ったのが日本のプロゴルフ選手権だ。日本のプロゴルフ選手権は1931(昭和6)年、日本ゴルフ協会の主催で創始された。アマチュアの団体がプロ競技を主催するのは異例だが、その時代にはプロゴルフを統括する競技団体はなく、そこで全国のアマチュアゴルフの統括機関である日本ゴルフ協会(JGA)がプロ競技を主催した。

    1957(昭和32)年、待望の日本プロゴルフ協会が日本ゴルフ協会の支援で誕生し、その2年後の1959(昭和34)年、日本プロゴルフ選手権の主催権がJGAから移管され、日本プロゴルフ選手権は日本プロゴルフ協会の主催になった。

    JGAが主催した時代には、米国と同じように36ホールのストロークプレーで8人(後に16人となる)を選び、マッチプレーで争われていた。この競技方法はナショナル選手権競技の原則であるからだ。

    いま、日本のアマ、プロのゴルフ競技のすべてはストロークプレー一本槍だ。マッチプレーは日本のゴルフ界から完全に忘れ去られようとしているが、マッチプレーこそ選手権を争う本当の姿だ。競技の伝統は消してはならないものだ。